”言葉”か”台詞”か
- 青い彗星のあお
- 6月6日
- 読了時間: 3分
更新日:6月7日

みんな毎日会話をします。
あなたはどこで、だれと、どんなお話しをしますか。
どんな「言葉」を聞き、口にしますか。
僕は「うそつき」とたまに言われるので言葉についてよく考えます。
会話によって人は元気になったり、傷ついたりします。会話は誰でもできますが、難しく奥が深いものですね。
最近は”嘘”というワードを少し分解して「”言葉”か”台詞(セリフ)”か」を意識するようになりました。
”言葉”はウタ(歌、唄、詩)と言い換えて考えます。
むかーしむかし、人類が定住以前、遊動していたころ、人は”ウタ”で情報を伝えていたと言われます。ロジックではなく、嬉しい時には悦びのウタ、悲しい時には悲しみのウタを…。
心の内側からから生じる内発的な”言葉”のみを用いたのでした。
一方で、”台詞”は社会という荒野で生きぬくためのツールだと考えます。
定住以降、社会化にともなって発展したコミュニケーション方法です。
例えば、上司から「期待しているよ」と声をかけられたとします。でも、私は本当は頑張りたくなくても「精進します」と応えるでしょう。
もしかしたらその上司さんも〈あんまり期待してもなぁ…〉と内心思っているとします。この時に交わされる会話は、立場や役割を反映した「台詞」的と言えると思うのです。
「”言葉”か”台詞”か」どちらが良い/悪いではありません。
ただ、ふたつを切り分けて取り扱うことには、意味がありそうな気がしているのです。
______。
話しはやや転じます。
『ライフイズビューティフル』1997年のイタリア映画です。
僕はこの映画が好きです。

簡単なあらすじを記します。
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第二次世界大戦前夜、ユダヤ人に対する迫害行為が行われる。ナチス・ドイツによって、ユダヤ系の家族3人は強制収容所に送られてしまう。
母と引き離され不安がる息子ジョズエに対し父グイドは嘘をつく。
「これはゲームなんだ。泣いたり、ママに会いたがったりしたら減点。いい子にしていれば点数がもらえて、1000点たまったら勝ち。勝ったら、本物の戦車に乗っておうちに帰れるんだ」。
絶望的な収容所の生活も、グイドの決死の行動と弁術にかかれば楽しいゲームに様変わりし…____。
ジョズエと父グイドは収容所から逃げようとする。しかし母ドーラを探す最中にグイドは見つかってしまう。ゴミ箱の中に隠れていたジョズエを怖がらせないように、グイドはジョズエにウインクする。背中に銃を突きつけられても、まるで喜劇の主人公のようにジョズエの前を笑顔でおどけて通りすぎる…____。
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映画を通じて、善き嘘と悪い嘘があるということに留まらず、言葉を取り扱うとはどういうことなのかを考えさせられるのです。
言葉と行為、そして自身の在り方について鋭い問いを突き付けてきます。
嘘をついてはいけません。嘘つきは悪い。
これは習わしとして、時代を超えて正しいでしょう。
でも、真に”嘘”のない生活などありえず、また”嘘”のない現実には耐えられません。
一面的な言葉の解釈だけではせっかくの会話も味気ないものになると思います。
「真/偽」「”言葉”/”台詞”」くるくると反転しながら絡み合います。
だから、僕はいつも
頭くるくるパーなのです。
前髪もくるくるです。
あお